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Half way there





昨日、高裁で意見陳述をしてきました。

(裁判の詳しい内容はこちら。一番下に、ニュース記事へのリンクがあります)


6月に判決が出て、その当日に開いた記者会見では多くの報道関係者の方々に集まっていただきました。報道への反響も思ったよりずっと大きくて、インターネットでの誹謗中傷に関する訴訟に対する関心の高さを実感しました。

6年間にもわたる膨大な量の誹謗中傷。それらを書き込み続けた被告に命じられた賠償金額は、私ともう一人の共同原告の二人に対し計99万円でした。その金額ではじゅうぶんでないということから控訴することを決め、今日に至るという流れです。控訴審の判決は2022年2月2日に予定されていますが、これはまた日が近くなったら改めて告知します。


昨日の意見陳述では、主に6月の判決で「社会的評価を低下させるものである」と認められた被告による投稿をいくつか例に挙げながら、それらがこちらの自由や権利を損ない、どれだけ日常生活に弊害を与えているかについて話しました。それから、ネット上の書き込みの持つ影響力などについても。原稿をそのまま載せようかとも思ったのですが、与えられた時間が5分程度だったため諸々を削って話をしなければならなかったことと、共同原告のプライバシーを考慮して、昨日話したことをベースに今思っていることを書いておくことにしました。記者会見でのステートメントと重複する部分もありますが(というかこの件に関するこちらの主張は変わらないのでそもそも重複して当たり前ではあるのですが)、改めて少しだけ綴っておきます。



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99万円という数字だけ見ると、そんなに少ないようには思えないかもしれない。インターネットに書き込みをしただけでそんなに払わなきゃならないのか、とも思われるかもしれない。とはいえ、これに関しては6年前から今までずうっと続いているので、もはや「魔が差した」なんて言い訳すらできそうにないんだけどね。


当時所属していた団体(SEALDs)の目的が金儲けで、私が社会運動に携わった動機がまるでカネのためでしかなかったかのような印象を与える書き込みを繰り返されたり、私の欧州での滞在に税金が使われているだとか、私が違法行為をしていると誤解させるような書き込みだとか、そういった事実無根の主張をまるでそれらが“真実”であるかのように繰り返されたりが続いた6年間。私が欧州に滞在するために巨額の税金が投じられているだなんて、私がただの一般人にすぎないということを知っている人からしたら、まともに受け取るにも値しないような一文だって思うかも。私だって自分の海外旅行に巨額の税金が投入されているかもしれないなんて、思うわけがない。だって、自分の口座にあるお金で飛行機のチケットを買ったり現地で食事をしたりしていたんだから。

そのほかにも私のSEALDsとしての活動は「人工芝運動」というもので実は裏では他の団体や人物と繋がっているんだとか、とにかくまったくもって事実ではないことばかりが私の名前(場合によっては写真も)とともに書き込まれ続けた。あらためてこうやって書いてみると、どれもちっとも現実味がなくて、もしかすると誹謗中傷されることのしんどさがうまく伝わらないかもしれないって心配になるくらい。でも、ちょっと想像してみて。名前も顔も知らない、会ったことすらないどこかの誰かが、自分についての憎悪の染みついた投稿を6年間も続けているという状況を。もちろん今ここに挙げたのは、昨日の意見陳述で触れたものも含めて、被告による私についての投稿の全体の半分にも満たないもの。相手の素性も分からないまま、執拗に攻撃され続ける。さらに、相手の頭の中で出来上がっているらしい自分についてのシナリオと自分が実際に生きている現実は、ちっとも噛み合うものではない。こちらがどんな発信をしても逐一曲解され、攻撃される。不可解なだけでなく、そこには恐怖や不信感だって存在する。なぜなら、向こうはこちらの姿や所属先などを把握しているけれど、こちらは本当にそれが一体誰なのかまったく見当もつかないから。発信者情報が開示されて相手の名前がわかったのはだいぶ前のことだけど、被告の姿は今年の2月に行われた尋問の時まで分からなかった。前日の夜に少しだけTwitterにも書いたけれど、その日はもう行き帰りが本当にしんどくて、特に行きの道では相手の顔をまだ知らない状態だったから、もし自分の身に何か起こったらどうしようって本気で心配していたの。(当日は、この件を担当してくださっている弁護士の先生方が安心して尋問に臨めるように配慮してくださいました)

かといって、姿をみたから安心しましたという話でもなくって。どこの誰だかまったく分からない状態から、少なくともこの人だということは姿も含めて確認したけれど、それと同時に、あれだけの執拗な憎悪と事実誤認の連続が本当に生身の人間によって行われていたんだってことを改めて認識するのにはそれまでとはまた違った奇妙さがあった。


2月に行われた尋問や昨日の意見陳述では、自分が受けてきた精神的な被害が身体的な症状につながったことについても話をした。何百件という誹謗中傷に晒されていた当時、夜になると呼吸ができなくなったり、ストレスで倒れたりしたことは、紛れもない事実。2月の尋問前も夜の呼吸困難が再発していたんだけど、昨日の意見陳述の前にはそれが起こらなかった。それは、勝訴判決が出たからというだけでなく、自分をこれだけの間苦しめてきた投稿の数々が実際に「社会的評価を低下させるものである」と法廷によって認められたっていうことも大きく影響しているんだと思ってる。



SEALDsの元メンバーっていっても、そんな運動をまともに覚えているのは日本に住む人のほんのごく一部に過ぎない。メンバーとして大金を稼いだわけでもなければ、日本全国にたくさんのファンがいるってわけでもない、さっきも書いたとおり、私はただの一般人。SEALDsが当時それなりにメディアに取り上げられていたことは自覚しているけど、やっぱり、顔と名前を公表して社会運動に参加しなければこんなふうに誹謗中傷に晒されて人間不信になることもなかったのかな、とは思う。後悔はちっともないんだけどね、ただ不思議だなぁって。一市民として権利を行使したくらいで、こんなに叩かれるのかとは当時も奇妙に思っていた。まあここ数年でだいぶ良くなってきたような気はするものの、やっぱり日本語で政治に関する話をすることはまだまだ雰囲気が許さない。雰囲気(空気感?)の存在がデカすぎる。でも、その空気感は声をあげる者に石を投げることを正当化しない。私がそう考えるってだけで、それがどこまで共感されるのかは分からないけど、だって空気感は人権より上には来ないもの。でしょ?



誹謗中傷っていうと、すでにある程度知られている人に対してっていう印象は私自身も持っていたけど、そんなの嘘だった。だって、私にも起きたことだからね。

ある程度知られていると「有名税」なんて言われたりもするみたいで。そんなの被害を矮小化するだけなのにね。私がSEALDsのメンバーとして活動していた時ですらその言葉を投げてくる人が周りに結構いて(有名ですらなかったのに!)、運動のために我慢した方がいい、とかもね。個人の被害を踏み台にして成長する運動なんかやめちゃえば?って思うけど、当時の私はそれをその場で言い返すほど鍛えられていなかったんだよね。そんなしょうもないこと言う方が悪いんだけどね、でもその程度の意識しか持っていない人なんてごまんといるから、やっぱりその都度いやそれは違うでしょって言わないといけない。



すでにある名誉がどれだけ毀損されたかっていうことの重要さももちろん分かっているけど、インターネット上での誹謗中傷やそういった投稿が残り続けることには、今現在の状況や過去にどれだけそれで傷を負ったかということだけじゃなくて、未来の可能性をも奪うという面もあるんじゃないかなって。ネット上に残された誹謗中傷の書き込みにその対象者の人生を左右してしまうような影響力があることは、著名人の死についての報道でも明らかにされているし、特に昨年からのコロナ禍でオンライン上のスペースが画面の外の世界とぐんと近くなったというか、その境界線が今まで以上にはっきりしなくなってきていると思うんだよね。画面を閉じればいい、アカウントを消せばいい、気にしなければいい、というような有り難くもなければ役にも立たない言葉は今までにも幾度となく貰っているけれど(言われなくたってそんなのもうとっくに全部試したよ)、そういった「対応」は、今まで以上になんの効力も持たなくなってきている。それに、被害を受けている側の人間に役に立たないアドバイスをするよりも、加害者を咎めてくれた方がいいんだけどね。性被害の話でもよくあることだけど、必要なのは被害者に行動を求めることじゃなくて、加害を止める力の一人になることだよね。

プライベートとパブリックの境目が、どこにあるのか分かりづらくなっている。ネット上のペルソナと、生身の顔の造形が似てきている。そういうことにも、もっと注意を払った方がいいと思うんだ。(この辺はまた改めて判決の後にでも書くね)


私のことをちゃんと理解している人なんてほんの一握りしかいないし、私はそれで心地いいから構わないけど、私の名前を検索すれば湧き出てくるちっとも事実ではない私についての投稿の数々は、私が私の印象を作ることすら許してくれない。別に膨大な量の投稿とともに誹謗中傷されていなくたって、噂話を立てられたり心ないことを言われたりなんて人生にいくらでもある話。だからといって、じゃあしょうがないよねと見過ごすつもりはまったくなくて、だって私は6年前から今日に至るまで、ずっと被害を受け続けているから。自分に敵意をぶつけてくる相手のことが頭をよぎるのって、ものすごいストレス。その人のせいで手足の動きが止まるのは、もっとストレス。あれ、私、もっと強いはずなんだけど。



電車に乗るたびに、知らない人が多くいる集まりに顔を出すたびに、自分の名前や住所をどこかに入力するたびに、美容院に行くたびに、もしくは友達の友達に初めて会った時に。新しい職場や、大学の教室。行きつけの飲み屋に、お気に入りのカフェ。もしかしたらここに執拗な書き込みの本人がいるかもしれないって、警戒し続けていた。それだけじゃない。新しく出会った人たちが、もしも自分に関するああいった投稿の数々をすでに目にしていたらと思うと、とたんにその場から消えてしまいたくなる。


まったく電車に乗れなくなったわけじゃない。酒を飲みに出掛けられなくなったわけじゃない。恋愛ができなくなったわけじゃない。仕事に行けなくなったわけじゃない。新しい環境に身を置くことを、完全に諦めたわけじゃない。どれだけ傷つけられようが、不信感とともに暮らしていようが、生活は続く。毎日毎晩目を腫らして泣き暮らしているってわけでもない。嬉しいことも面白いことも素敵なことも、この6年間で山ほどあった。今だって、大学で勉強したり、キックボクシングでふらふらになるまで汗をかいたり、たまに友達に会ったり、休みの日には映画を観に行ったり、なんだかんだ楽しく生きている。

ただ、頭の奥に常に奇妙な恐怖と不信感があって、それがふとした瞬間に涙になったり息苦しさになったり、不定期でやってくる“返さなくちゃならない連絡を放置してでも人と一切の連絡を取れなくなる期間”や“暗い部屋でじっと毛布にくるまって今日より先のことを想像できなくなる日々”になったりと、姿を変えて私の生活を邪魔しにくる。大勢の人がいるところに身を置けば動悸がするし、今はもうソーシャルメディアの利用も必要最低限に抑えている。忙しいのも事実だけど、本来私はどこにいてもやかましいから言いたいことだってたくさんあるのに、これ以上攻撃の材料を与えたくなくて手が止まる。



どれだけの被害を受けているかということを、被告本人の前で法廷で証言しなくちゃならなかった。2月の尋問と、昨日の陳述との2回にわたって。本人のいないところだと記者会見や取材時にも。もちろん判決のためには大事なことだし、私はSEALDsを含め自分のやってきた活動を恥ずかしいとはちっとも思っていない。けれど、あなたの数々の言葉によってこれだけ傷つけられてきて、こんなに苦しんでいますということを実際に口に出すのは決して楽なことではない。

私はよく「あなたの言葉にはパワーがある」というようなことを言っているんだけど、もちろんそれは誰のどんな言葉にもパワーがあるということで、だから、ああいう投稿に書かれた言葉に傷つけられていることを証言したら、被告の言葉の持つパワーが私の強さを上回っているような気がして、それがしんどかった。今までも、そしてきっとこれからもずっとこのしんどさが抜けないのは分かっているから、そんなことないって打ち消してもあんまりそこに信憑性がないんだよね。

とはいえ、私はまだこうして発信したり、記者会見を開いたり、そもそも裁判を起こせるくらいに恵まれた立場にいる。それについての自覚はある。これはほんとうに協力してくださっているすべての弁護士の先生方(みんなほんとうにかっこいいんだ、震えながら法廷に立った時も知に守られてるって思ったもん)のおかげでしかないのだけれど、でもそれは誰にでもある環境じゃないっていうのも分かってる。だからこそ、たとえ受けた傷について口にするのが屈辱的であっても、私みたいな一般人がこうやって判例を増やす手伝いをすることには意味があると思っているし、被害に見合った賠償金額が決定されることも、もしかしたら今回みたいな加害の数を減らすことにつながるかもしれない。一方的で執拗な攻撃のせいで社会的生存が抹殺されていいはずがないからね。もちろん、誹謗中傷に限らずなにかの被害を受けた人が、それについて積極的に声をあげないというのも選択の一つで、それは声をあげることと同等に尊重されるべきこと。私はやっぱり声をあげることを選択するし、それが社会的にも意義のあることだと信じたい。けれど、沈黙もまた聞くべき言葉であるって、そういうふうにも思っている。




まだまだ書きたいことはあるんだけど、残りは2月2日に判決が出た後にまた改めて書こうと思います。だらだらと書き綴ってしまったけれど、最後まで読んでくれていたらありがとう。2月2日の判決日については、また日が近くなったら告知します。

それではまた。



Wakako








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